教師力向上への道。アラフォー教師の徒然日記

30代後半の小学校教員。学びやこれまでの実践の振り返りを綴っていきます。

にほんブログ村 教育ブログ 小学校教育へ

役割取得能力発達を支援する社会科学習

役割取得能力発達

 役割取得能力には,自分と他者とでは考えや気持ちが異なることを理解すること,他者の感情や思考の内容を推測すること,それらに基づいて自分の行動を決定することなどが含まれる(荒木,1992)。役割取得能力は向社会的行動が生じる要因の一つ,共感性に関わるとされている。「人間の考えや気持ち」について小学校の学習で扱うとするならば道徳の学習を思い浮かべる人がおそらく多いであろう。道徳性の要となる特別な教科道徳,という位置づけから考えると,道徳の学習を中心に役割取得能力を高めていくというのは自然である。しかしながらこれまでの15年間の教育実践を振り返ると,子どもたちの役割取得能力発達が支援できたなと私が感じる教科は道徳ではなく,社会科である。社会科はその目標に「主体的に生きる平和で民主的な国家及び社会の形成者に必要な公民としての資質・能力の基礎を次のとおり育成することを目指す」とあるように子どもたちが一人の人間として社会に適応していく能力を育てることを教科の目標としている。3年生~6年生までの内容を見ていると,そこには一貫して「人」の存在がある。地域社会で,歴史の中において人がどのような状況下で,どのように考え,どのように思い,どのように行動していったのか,それらを追体験することが可能な教科なのである。私の社会科実践を2本取り上げ,それがどのように役割取得能力発達とかかわるのか考察したい。

【民主主義の発展】

 最初に取り上げたいのは民主主義の発展を学習する単元。国会開設を求めて日本各地で自由民権運動がおこる。演説者を警官が取り押さえその警官に向かって聴衆がモノを投げつけている様子を描いた絵が教科書に掲載されている。その様子を教室で再現することにした。演説をするために国会開設の必要性や政府への不満を調べる。聴衆役も当時の状況を調べる。警官役は政府の立場を調べる。その上でどのような演説が展開されたのか子どもたちが演じる。実際の場面では演説者役の児童が聴衆に語りかけ,それに呼応するように聴衆役が叫ぶ。不満や批判の高まりを感じたところで警官役が演説者を壇上から引きずり降ろそうとする。それに対して聴衆が批判を展開し演説者も話そうとする。

 これは自己内省的役割取得,相互的役割取得を体験させる機会となっていたように思う。警官役,聴衆役,演説者役になった子どもたちそれぞれが,小学校6年生としての自分と明治期における自由民権運動にかかわる人たちとの視点を分化しているように見える。自分が与えられた役割に沿って当時の人々の思考や感情,セリフを内省し言動によって表現している。自分と比べるような場は設定していないので,第三者視点をとっているかどうかはわからない。しかし3つの役割の相互作用によってストーリーが進んでいるため,警官役,聴衆役,演説者役が相手の思考,感情などから相互に影響を受け自分の行動を出現させる,すなわち相互交渉をしていることに気づくことはできたであろう。このように考えると,レベル2~レベル3の役割取得を子どもたちに体験させた学習機会といえる。

【平和へ歩みだした日本】

 戦後日本がどのように復興していくか,その様子を「(東京五輪1964の)聖火ランナーの実況アナウンスをつくろう」という活動を通して学習した。学習の最後には実際のVTRに合わせてアナウンスをする機会を設定した。その際,子どもが書いた原稿が次のような文章である。

 

 最終ランナーは坂井義則。1945年8月6日生まれ。8月6日広島に原爆が落とされました。あの大きな音と同時に街を一瞬にして吹き飛ばしました。この日を忘れることはないでしょう。(中略)あのマイナスから始まった国が今プラスへと上っていきます。わずか19年でオリンピックへ進みました。さあ,いよいよ聖火がともります。今までの苦しい思い,悲しい思いを燃え消しましょう。この火はいつまでも消えることはなく,私たちの心の中で燃え続けることでしょう。この国を希望であふれさせましょう!!

 

 31人全員が差はあれ上記のような原稿を作成した。聖火ランナーが階段を駆け上がり聖火をともすまでの十数秒間,子どもたちの興奮はピークに達し,1964年のスタジアムに立っているかのようであった。

 この実践も自己内省的役割取得,相互的役割取得を体験させる機会を子どもたちに提供したように思う。「この日を忘れることはないでしょう」という言葉は今の子どもたちの視点ではなく,戦争を経験した人,即ち当時の国民の視点に立っていることがわかる。当時の国民から戦争を見たらどのような感情になるか,自分が当時の国民だったらどのように思考しどのような感情をもつか,そのように自己の思考や感情を内省している。後半に書かれている「今までの苦しい思い,悲しい思いを…」「この国を希望であふれさせましょう」も同様である。当時の国民の立場から考えなければ出てこない言葉である。子どもたちは当時の国民の立場だけで作成したのではない。資料から当時の日本の様子を調べ,そこから思いをめぐらせたのは今の子どもたちの視点である。焼け野原になった日本が,わずか19年で国際社会に誇れるオリンピックを開催できたことに,子どもたちなりの驚きや賞賛の意を感じている。当時の国民にとってのオリンピックの存在と,自分たちの考えとの共通点や相違点を十分に吟味した上に実況アナウンス原稿は出来上がっている。両者の視点を考慮し,同時的・相互的に関連付けているという点でレベル3,相互的役割取得の学習機会になっていたと考えらえる。

 

 以上昨年度実践した社会科学習と役割取得発達とのかかわりを述べた。相手の考えや気持ちをおしはかる機会は何も道徳だけではない。今回考察したように社会科においても十分可能である。ピアジェは発達要因として遺伝,物理的経験,社会的学習に加え均衡化を挙げた。均衡化は時間を必要とするし子ども自らが自らの方法で融合するものであるとも指摘する。その観点に立てば役割取得能力も子どもたち一人一人が時間をかけて発達させていくものである。だからこそ様々な機会をとらえて子どもたちが役割取得を経験できる場を提供し,その発達,その均衡化の支援ができたらなと思う。「人」を中心に学習を展開する社会科は,役割演技学習を想定しやすい。