教師力向上への道。アラフォー教師の徒然日記

30代後半の小学校教員。学びやこれまでの実践の振り返りを綴っていきます。

にほんブログ村 教育ブログ 小学校教育へ

一昨年の学級だよりを振り返る。

 一昨年の今頃、次のような学級だよりを発行していました。担任していたのは5年生。卒業式の練習も佳境に差し掛かるころです。

学級だより本文(一部修正) 

火曜日に卒業式の練習が行われました。終わって次のような問いかけをしました。

 

私  :1時間10分程度予行練習がありました。

    その間微動だにしなかった人?

子ども:(だれも手を上げません。)

私  :「あっまずいぞ」と自分の姿勢を修正できた人?

子ども:(みんな手を挙げます。)

 

 1時間以上の式、微動だにしないのは無理です。できる人もいるかもしれませんが、大事なのは「あっまずい。」と思って修正できることです。見ていてそういう姿が見られました。すばらしい。

 

 後ろから見ていてスッと背筋が伸びる様子を何度も見ました。足が前に出てひざを90度に保つ姿も見ました。曲がってきた自分の背骨、足に気づくことができたのでしょう。これでいいのだと考えています

 

あっまずい

    →だからこうしよう

 

そのような修正能力を試すよい機会です。

 

卒業式が近づき、次のような発言も聞かれます。

 

  •  先生、明日は白い靴下ですか?
  •  白い靴下が一足しかありません。明日はくと(洗うので)乾きません。
  •  上着もってきました。
  •  今から名札買ってきます。

 

 卒業式の練習が始まった先週、足元に目立った色は「黒」でした。それが今目立つ色は「白」。靴下にしろ上着にしろ名札にしろ「服装」に意識が向くようになってきています。

「卒業式に限らず式は『厳粛に』」と若かりし頃、先輩から教わりました。

 

 

 辞書で引くとこのような意味が掲載されています。「保つ」ではなく「保とう」とする様子です。子どもたちが服装に気を配り、声の出し方にこだわり、6年生に届けようと歌う姿勢、その子どもたちの姿勢が(もちろんわれわれ教員の姿勢も)「厳粛」をつくりだすのだと今改めて感じます。

 

 数日後の卒業式。きっと彼らの姿が体育館を「厳粛」にしてくれることでしょう。そのような体育館で彼らの目にはいったい何が映るのでしょうか。立派な6年生の姿でしょうか?仲のよい先輩の姿でしょうか?それとも1年後の自分でしょうか?

 

自分の学級だよりをふりかえる

 卒業式になると「動いてはいけない」って指導が入ります。昔からこれに違和感がありました。

 

いや、動かないの無理じゃん

 

って。教師だって動くし。そんな中で子どもたちに

  • じっとしなさい
  • ピタッと止まりなさい
  • 動いてはダメです

という声掛けって・・・どうなのよって思ってました。これでどんな力を子どもたちにつけたいのでしょう。それよりも

  • 姿勢が乱れてきた自分に気づく
  • 眠くなってきた自分に気づく
  • それに対する具体的な対応策を考え実行する

このような力を育てていく方が大事だと思うんですよね。メタ認知能力や自己修正力とでもいいましょうか。

 

 そもそも、座るとか立つとか歌うとか姿勢を保つとか。それを卒業式間際になって指導しているようではダメだと思うんです。

 

 立ち方や座り方は4月から毎日練習することができます。

   →朝の挨拶や帰りの挨拶

 座り方も4月から毎日練習することができます。

   →授業の始まりと終わりは姿勢を正す

 

 卒業式の練習になって、姿勢について言わなくてはいけない子が学級の中に何人もいるのは・・・これまでの自分の指導を振り返らなくてはならないのでは?って思います。(もちろん時折全体に対して「今ちょっとみんな乱れているね」「今どこをみたらいい?」といった声掛けは大切だと思います。)

 

  •  卒業式の目的・価値についての共有
  •  4月からの継続的な指導・支援

 

 があれば、卒業式だからといって「姿勢」や「態度」をことさらに強調する必要なんてないのになあって最近思います。

 

 厳粛な雰囲気で行われるのが「式」。これを否定する気は全くありませんし、日本の社会の中で生活していく以上とても大切なことだと思っています。しかし「厳粛」は「保とうとする様子」なのです。保とうとすることができる力、それを醸成・育むのが教育だなと思います。「動かないこと」「ごそごそしないこと」を求めるのとはちょっと違う気がしています。