米国教育使節団報告書
詳しくは↓
を読みました。といっても報告書の要旨の部分ですが。これでもなかなか。A3用紙に8ポイントくらいの字でびっしり。それが2枚。見た目から読む気が削がれるのですが・・・せっかく講義で配布してもらったので自分の教養のために。
この報告書は、戦後日本教育の方向性を定めることになる文章。その中に目を引かれる言葉がいくつか書かれています。
- 教育は個人を、社会の責任ある協力的成員たらしめるよう準備すべきである
まずこの言葉です。教育基本法では「教育は人格の完成を目指し」とありますが報告書では「社会の責任ある構成員」を目指すとされたんですね。「責任」というのがアメリカらしいと思います。「自由」を「血」によって獲得したアメリカ。「不断の精進こそ自由の代償である」とこの報告書の別の箇所に書かれているように、単なる協力的成員じゃないんですよね。何かしらの「責任」が負わされる。
- 事実と神話を、現実と空想を区別する能力は、物事を批判的に分析する科学的精神の中に栄える
戦前の教育全否定ですよね(/・ω・)/。事実と神話、現実と空想が並列されているところがいかにもって感じです。
- 日本の歴史は(中略)意識的に神話と混同され、その地理は、保身的にさらに宗教的にさえ自己本位であった。
と後述にもあるように、神話、歴史、地理、そして終身が「軍国主義」に結びつき「戦争」を引き起こしたととらえられたのでしょう。
- 生徒の興味から出発して、生徒にその意味がわかる内容によって、その興味を拡大充実するものでなければならない
アメリカにおけるデューイの思想そのものです。子ども中心主義。暗に、「これまでの日本はそうではない」と批判しています。実際に戦前の日本の教育についてはちょこちょこ報告書の中でけちょんけちょんいされています。そのわりには、戦後日本の教育って本当にこの「子ども中心主義か・・・?」と思わなくもないのですが。骨抜きにしたのは誰だ・・・。
- 賢明は(中略)広い社会経験と政治的実際から生長する。
この後に「政治的行動への無関心こそ恥ずべきである」「投票棄権は道徳的怠慢であり、」と続きます。「民主主義」ですね。国民が主権者、その主権者たる権利の保持には「政治参加」が義務。
日本の投票率の推移は↑の通り。「投票したい人がいない」というコメントがメディアで流れたり「投票率が低いことを政権はもっと」というコメンテーターの言葉が流れたり。報告書に書いてあるということは当時の日本においても国民の「政治意識」はそれほど高くなかったのでしょう。民主主義は努力によって成り立つようなニュアンスが報告書には書かれています。投票という権利を行使しない割合が国政選挙で半数。報告書の言葉を借りれば「賢明」はまだまだ日本に根付いていないのかな?
- 栄養は知識の源泉としてまた食習慣の基礎として、身体の好調子に寄与しうるあらゆるものと関連し(後略)。逆に無益な軍事訓練を支持すべき暇もなければ精力もないはずである。
まさに食育。当時の日本が食力不足に陥っていたという社会的状況から当たり前といえばそうなのかもしれませんが。戦後70年たってこの「食育」の考え方は生きています。当時は食糧難を背景として。現代は飽食や家族構成の変化を背景として。
もっと線は引いているのですが長くなるといけないのでここらで(/・ω・)/。最後までお読みくださりありがとうございます。よろしければブログ村のバナークリックをお願いいたします。いつも励みになっています( ̄▽ ̄)