教師力向上への道。アラフォー教師の徒然日記

30代後半の小学校教員。学びやこれまでの実践の振り返りを綴っていきます。

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ドラマチックに書く、朝の5分間。

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dutch2017.hatenablog.com

 

 以前も紹介したドラマチック作文。6月になりどのような成長が見られたのか。定期的に紹介していたので子どもたちの作文がどのように変容していくのか何年たってもわかります。今回のテーマは朝のハイタッチ。4月から毎朝やってきたハイタッチも2カ月を過ぎました。色々な意図を込めて取り入れているのですが、「触れる」という行為は何かの本を読むと「オキシトシン」の分泌を促すこともあるそうです。これは人間関係を円滑に導くもので「幸せホルモン」とも呼ばれるそうです。

 

当時はそこまでの知識が私にはなく、「物理的な距離を縮めれば心理的な距離も近くなる」という行動から心情をわき起こす的な発想で始めたものでした。同時に運動することによってドーパミンを分泌させ学習に集中できるようにという意図もありました。授業中勝手に立ちある子どもの中にはドーパミンが脳内に不足したため、歩くことでドーパミン分泌を促進させている子もいます。だったら朝から身体を動かしてある程度ドーパミンを・・・と。

 それ以外にもコミュニケーション力向上のための色々な要素がはいっていると考えて実践。それを子どもたちはどのようにとらえているのでしょうか?

学級だより98号(2016年6月)

朝をドラマチックに

じゃんけんポン。

この声から〇組の朝が始まります。続けて聞こえてくるのがパチンという音。しばらく意見文の推敲が続き細分化するドラマチック作文を書いていませんでした。そこで「朝のハイタッチ」をテーマに5分間(実際は6分間)作文を書きました。

 Aさん

パチン

ハイタッチの音が鳴り響く。手と手が重なるとまた

パチン

と鳴り、それが何回も繰り返される。パチンとなるとなんだか気持ちがよい。心のなかでそう思う。

 5月までは男子と目を合わせられなかった。しかし今でははずかしがらずに目をあわせられるようになっている。私は少しずつ成長していることを実感した。

 ハイタッチが終わり

パチン

という音は消えた。でも雨の音は消えないでずっとなり続けている。

 Bさん

パタパタパタ。

 階段を一歩一歩あがる。パタ。最後の階段のおと。すると向こうのほうから

「おはようございます。」

「おはようございます。」

と大きな声が。○組の歌が混じって聞こえる。それを押しのけるような大きな声が○組の方まで響く。大きな声を聞きながらどんどん廊下を進んでいく。教室に入るともうハイタッチが終わっていた。おそかったか・・・と思いながら席に座った。すると横から

「おはようございます。」

とF君が・・・

 C君

パチン

あちらこちらでその音と元気よい

「おはようございます。」

がぼくの脳を起こしてくれる。特に音が大きいハイタッチは手が真っ赤になる。ジーンとした手で次の人とハイタッチ。手と手がこすれあいまたジーンときて痛い。これが繰り返される。教室の隅まで届くハイタッチの音。ジーンとくる痛み。でもまたこれが楽しい。みんな痛いはずなのににこやかな笑顔。この笑顔がぼくの朝のエネルギーだ。

季節の花を

 図工の時間に紫陽花を描きました。下がきに2時間。色塗りに3時間。思った以上に時間のかかった作品です。時間はかかりましたが、それだけに近くから見ても遠くから見ても『力作』と感じずにはいられません。

色合いや大きさによって切り取ってはったり、台紙にはったり。この時期にしか描くことのできない花、紫陽花。前回の詩と同じく少しずつ紹介いたします。

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ふりかえり

 作文にちょっぴり図工も加えていました。朝のハイタッチを自分がどのようにとらえているのか、いわば自分の認知に関する認知、メタ認知です。わずか5分から6分。短い時間に書かねばならない状況の中、メタ認知ができている。つまり子どもたちにとって書くことそのものがそれほど認知負荷がかかっていなくなっているということでしょう。文章を書くためにはワーキングメモリ内の言語を分担する音韻ループを活用していると思われます。自分の認知に対する認知も言語的な活動。同じ音韻ループが使用されているはずです。この両方ができているということは書くことがある程度自動化され、他の活動にワーキングメモリの容量を割くことができるようになっているということだと考えられます。

 作文というと個人作業と思われがちですが、決してそんなことはありません。時間があるときには友達のを身に立ち歩いたり、相談しあったり。自分の書きぶりについて他者から意見をもらったり、他者に意見を伝えたりすることがあります。この「他者との対話」がメタ認知を促進していると思われます。

  • 自分がどんな認知的特性があるか
  • 自分と友達はどんな認知的特性があるか
  • みんなはどんな認知的特性があるか

という認知特性についての知識を向上させます。また、他者の作文を見ることで

  • どうやって書けばいいのか
  • その書き方はどのように使えばいいのか
  • 使うことでどんないいことがあるか

という方法論に関する知識も得ることができます。そしてこれはすなわち

  • 自分の認知の点検評価

であり

  • 次どのように書くかという目標設定

にもなります。メタ認知的知識とメタ認知的活動がつながっていると考えられます。

 作文の中で自分がどのようにとらえているか、どう変化しているか、どう感じているか書きなさいという声掛けは一切行っていません。友だちのを見ながら、友達と話しながら自分に良いものを取り入れてそして生かしているのです。自分で自分の方略を決定し、効果を考え次に生かす。「メタ認知」といっていいのでは?と思っています。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。