教師力向上への道。アラフォー教師の徒然日記

30代後半の小学校教員。学びやこれまでの実践の振り返りを綴っていきます。

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6月中旬~後半の子どもたちのチカラの高まり~学級だよりからふりかえる~

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 しばらく空いていました学級だよりシリーズ。今回も数年前の高学年担任時。「アラカルト」と題して発行したものです。昼休み~授業。しかも日付をまたいで書いています。子どもたちの誘いを断りあえて「観戦」に専念した様子も書かれています。以前も書きましたが6月といえば梅雨。プールも始まり肉体的にも精神的にもきついと呼ばれている時期。しかしながら学級だよりに見る子どもたちにはあまりそのような「きつさ」は感じません。

 

アラカルト

昼休み。

 この日は全員遊びの日。内容は「フルーツバスケット」。TやNたち遊び係が企画していました。前日の火曜日には事前説明。前もってルールや方法を説明しておく、スムーズな運営には欠かせないことです。私は教室後方から様子を眺めます。「先生も一緒にやりましょうよ。」と誘われたのですがこの日は観戦に専念。(こうやって声をかけてくれる、内心とてもうれしかったです。)後ろから見ていて「すごい」と思う姿に出合います。

  • 座れず、真ん中で自己紹介をする子。その子が話し終わったあとに大きな拍手をおくる。
  •  空いている席に急いで座ろうとする→「わざと」をする子がいない。みんな真剣に遊んでいる。
  •  誰の隣であっても座ることができる。
  •  男女に壁がない。
  •  昼休み終了3分前に係の子が「終わり。」の合図をすることができる。
  •  ルールを守らない子に厳しく対応できる。
  •  委員会の用事で抜ける時、きちんと周りに告げてから出ていく。

「『してもらう』よりも『する』楽しさを」と目標の確認をしてた子ども達。その最初の大きな「する」企画。係の動き、参加するみんなの動き、格段によくなっていました。

金曜日

 金曜日の朝、ある子が「先生、できました。」と歴史カルタをもってきました。前日のカルタの後、他のグループと混ざってしまっていたのです。一枚一枚並べ、確認しながら整理していました。なんという責任感の強さ。頭が下がります。

 中間休み、女児が「先生見てください。」と国語のノートをもってきました。見ると「森へ」の作文に自分で朱を入れています。

「もっとよくしたいです。」

「もっと書けるようになりたいです。」

そのような向上心を感じます。そのために時間を見つけノートを持ってくる。とてもうれしいことです。

 帰りの会。3人の子どものダンス姿が目に入ります。ダンス係の手本を見て、楽しそうに踊っています。その場に応じた力、「場力」がある証拠です。ダンス係の子どもたちも「する楽しさ」を作り出していますし、それを見て楽しそうに踊る彼らもまた「する楽しさ」を作りだしています。

木曜日のこと

 木曜日の音楽。「われは海の子」の練習をしていました。子どもたちを横に並べ、合唱をするような体形で練習。一人ひとりの顔がよく見えます。ある3人組は奥歯が開いているのがわかる口の形。別の2人組は「し」や「み」の口の形が上手。横に開いています。5人とも表情で曲想を伝えようとしています。

 放課後、ある子が「先生、もう詩は考えてあります」と紫陽花の横にさささっと文字を書き添えます。「集まってこそ花」、短いながらも考えさせられる言葉。言葉のセンス、いつも驚かされます。

小話をした際

 林修という人を知っていますか?と子どもたちに尋ねました。テレビで見ない日はないほど活躍されている方です。その方が大学生に向けて「社会に出るまでにしておくべきこと」として話されていことが印象的でした。高学年であれば言葉の意味を理解できると思い子どもたちに紹介しました。

  • 問題を解決する力
  • 新しいものをつくる創造力
  • 失敗の実験
  • 群像の感覚(集団の中で自分はどんな役割なら果たすことができるか)

この4つです。びっくりしたのは話はじめてすぐにメモを取り出し書き込む子の存在です。「先生、もう一度言ってください。メモしたいので」そう私に話す子もいました。次の日、ある子が「テレビでやっていたんだけど」と貧困について調べてきていました。テレビからも学ぶ、私の話を聞いて実践したのでしょう。

 

 自分の見方が広がる、知識が増える、伸びる、子どもたちのそのような姿をみる、私の楽しさ・幸せのひとつです。

ふりかえり

 子どもの誘いを無下に断る、きっと「やってはいけない」こととされることの一つでしょう。用事があるわけでもなく教室後方から見ているだけなのですから(笑)。大学時代にとある講義で「異化と同化」という言葉を学びました。外からの目、内からの目とでもいうのでしょうか。新採のころ校長から「子どもと遊べなくなったら終わりだ」と教えられました。子どもと遊ぶ中で、子どもの中に入ることで学ぶことがあるという意味だと思います。しかしそれだけではいけません。社会学の書物を紐解くと「その集団にはいってしまうとその集団、空間のおかしさには気づかない」と書かれているものあります。子どもの中に入るだけでは見える者は限られてしまいます。時には外から「観察者」として見ることも大切だと私は感じています。子ども達と一緒に遊ぶとどうしてもそちらへ認知資源がとられてしまいます。認知的負荷がかかるとWMの容量を十分に使えなくなるという研究結果もあります。子どもの様子を見ようと思った際、観察に専念できる環境も時には必要です。

 授業と授業の間、それを子どもたち自身が生かしている姿も見られます。作文に自ら朱を入れる、TV番組から学ぶ。創造は既存の知識の組み合わせとよく言われます。脳内のネットワークもどこか一箇所に情報が格納されているわけではなく、脳内の様々な場所に分散して格納されているというのが最近の知見です。自分自身で学びを作り出していくためにも、一つのことがきっかけとなって別の情報が目に飛び込んでくる。そのようなきっかけ作りが学校には大切なんだなと改めて子どもたちから教えてもらいました。

 

 最後までお読みくださりありがとうございます。

 

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